民俗学者、谷川健一が亡くなった。
民俗学者の谷川健一が亡くなった。
奄美にも大いに縁のある学者である。
昨年、金久正の著書「奄美に生きる日本古代文化」という本の復刻版を出した際にも快く「序文」を書いてくださった。
その序文も義理で書いたようなものではなく、きちんと本のことを理解し、正当な評価をした上で書いてくれたということが充分に伝わるものであった。
元々聞くところによると結構気難しいという評判もある学者である。
ぼくも谷川健一の本はかなり購入し、読んできたが、なかなか充分に理解できない部分があったが、一冊だけは深く心に残った本がある。
それは彼には珍しい小説で、「海の群星」というタイトルだった。
奄美大島の少年がわずかばかりの米と引き換えに「糸満漁師」として売られていった沖縄での苦難の物語である。
ぼくらの幼い頃には「糸満売り」という言葉が普通に使われていた。子どもが悪さをした時に諌める言葉だった。
そのことを谷川健一は恐らく名瀬に来た時に聞いたのであろう。
少年の儚い恋も織り込まれながらも、南島の「ウナリ神」信仰を物語の基軸に置いている。
ぼくは訃報に接して、この物語を思い出していた。
心から冥福を祈りたい。
民俗学者の谷川健一さん死去 日本人の死生観など探究(朝日新聞)
日本人の死生観や世界観を探究し、独自の学風を打ち立てた民俗学者の谷川健一(たにがわ・けんいち)さんが24日、死去した。92歳だった。葬儀の日程などは未定。
熊本県生まれ。東京大を卒業後、平凡社で「太陽」初代編集長。退職後、評論・執筆活動に入る。柳田国男や折口信夫の影響を受けつつ研究を重ね、沖縄や宮古といった南西諸島をはじめ全国各地でフィールドワークを行った。自然や宗教とのつながりの中から独自の視点で文化の成り立ちを読み解く試みは、「谷川民俗学」とも呼ばれた。
また、市町村合併などで由緒ある地名が消滅してゆくことに危機を感じ、1981年に日本地名研究所を設立して警鐘を鳴らし続けた。近畿大教授を務め、芸術選奨文部大臣賞や第2回南方熊楠賞などを受けた。2007年に文化功労者。詩人の故・谷川雁さんは弟。
著書に「常民への照射」「青銅の神の足跡」「うたと日本人」「南島文学発生論」「日本の地名」など多数。
奄美にも大いに縁のある学者である。
昨年、金久正の著書「奄美に生きる日本古代文化」という本の復刻版を出した際にも快く「序文」を書いてくださった。
その序文も義理で書いたようなものではなく、きちんと本のことを理解し、正当な評価をした上で書いてくれたということが充分に伝わるものであった。
元々聞くところによると結構気難しいという評判もある学者である。
ぼくも谷川健一の本はかなり購入し、読んできたが、なかなか充分に理解できない部分があったが、一冊だけは深く心に残った本がある。
それは彼には珍しい小説で、「海の群星」というタイトルだった。
奄美大島の少年がわずかばかりの米と引き換えに「糸満漁師」として売られていった沖縄での苦難の物語である。
ぼくらの幼い頃には「糸満売り」という言葉が普通に使われていた。子どもが悪さをした時に諌める言葉だった。
そのことを谷川健一は恐らく名瀬に来た時に聞いたのであろう。
少年の儚い恋も織り込まれながらも、南島の「ウナリ神」信仰を物語の基軸に置いている。
ぼくは訃報に接して、この物語を思い出していた。
心から冥福を祈りたい。
民俗学者の谷川健一さん死去 日本人の死生観など探究(朝日新聞)
日本人の死生観や世界観を探究し、独自の学風を打ち立てた民俗学者の谷川健一(たにがわ・けんいち)さんが24日、死去した。92歳だった。葬儀の日程などは未定。
熊本県生まれ。東京大を卒業後、平凡社で「太陽」初代編集長。退職後、評論・執筆活動に入る。柳田国男や折口信夫の影響を受けつつ研究を重ね、沖縄や宮古といった南西諸島をはじめ全国各地でフィールドワークを行った。自然や宗教とのつながりの中から独自の視点で文化の成り立ちを読み解く試みは、「谷川民俗学」とも呼ばれた。
また、市町村合併などで由緒ある地名が消滅してゆくことに危機を感じ、1981年に日本地名研究所を設立して警鐘を鳴らし続けた。近畿大教授を務め、芸術選奨文部大臣賞や第2回南方熊楠賞などを受けた。2007年に文化功労者。詩人の故・谷川雁さんは弟。
著書に「常民への照射」「青銅の神の足跡」「うたと日本人」「南島文学発生論」「日本の地名」など多数。
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