苦しかった大山登山、なんとか成功!!
今朝はさすがに足が痛かった。特に、ふくらはぎの筋肉が猛烈に痛い。
昨日の登山のきつさが足にもろにきた。
老いとともに確実に訪れている筋肉の衰えを自覚した。
富士登山の足慣らしとして企画されたこの大山登山である。
ぼくはこの一月間の多忙な中から生まれたストレスの影響を恐れて、かなり不安を抱えていた。
7時過ぎの電車に乗る予定を30分も早めて乗車した。
電車で寝過ごして行きすぎてしまった場合のことを考えたのである。これまで何度もそういうこともあったし・・・
しかし、比較的順調に乗り換えもできてたため集合時間より1時間も早く、集合場所の伊勢原駅に着いた。
始めて降り立った駅である。近くを散歩して回った。
駅の周辺には大山信仰を感じさせる雰囲気がある。
9時前には全員が揃ったところで、バスで追分駅まで移動。そこから結構傾斜のきつい大山ケーブルカー駅まで沿道の両脇に並ぶ店に、目をやりながら行く。
やっと辿り着いて、「往復切符」を購入し、ケーブルカーに乗ったが、乗車時間は5分程度。
大山信仰のシンボルである大山の頂上の阿夫利神社(雨降神社)でお参りをした。
この阿夫利神社と伊勢神宮は深い関係にあると思われているらしい。
社伝では、崇神天皇の時代の創建と伝え、延喜式神名帳では「阿夫利神社」と記載されているらしい。 天平勝宝4年(752年)、良弁により神宮寺として雨降山大山寺が建立され、 本尊として不動明王が祀られたとのこと。 中世以降は大山寺を拠点とする修験道(大山修験)が盛んとなり、 源頼朝を始め北条氏、徳川氏などの武家の崇敬を受け、 江戸時代には、当社に参詣する講(大山講)が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した由緒ある寺とのこと。
ここで記念写真を撮ってもらうため、少し離れた若者に声を掛けたつもりが近くにいたお孫さんを抱いたおばあちゃんが応じてくれた。申し訳ないと思いつつも厚意に甘えた。
そのおばあちゃんにお礼の声を掛けたら奄美出身だという。「西方」というのでぼくが「管鈍?」と聞くと「いえ、西古見」だという。自分の兄も大高出身で、姓は「朝野」さんと話してくれた。
なんという偶然に驚く。
登山に入る前に注意事項の説明がある。ゆっくり自分のページを守ること、足の歩幅のこと、呼吸のこと、ぼくの頭には入りきれない。
ぼくはとにもかくにもゆっくりと自分のペースをしっかり守るということだけを肝に命ずることにした。
登山口から見あげた階段、急な坂道、ふと不安を感じた。
ぼくの班はしっかり者で登山の経験が豊富な加川さんが班長である。同じ班には新田夫婦、新田の連れ合いさんのお友だちのキャシータブリゾさん。キャシーさんは若くて美人だ。
ぼくは後ろからついて行くことを心掛けた。
購入した靴を足慣らしではいて、階段でこけたため身体に痛みがあるので残るといっていた新田氏がついてくる。
駄目だったら引き返すというつもりというので見守ることにする。
途中から伊狩氏がかなりきつそうにして歩いている。何より自分の体重が重そうである。
大量の汗をかきながら、周りからうるさいくらいの励ましや助言を受けながら、そして、休みをたっぷりと取りながら登って行った。
前田弘和氏の連れ合いさんと息子さんはいつの間にかぼくらの視界から消えてしまった。
先に頂上に行ったのだろうと思っていたら案の定であった。ここでずっと待っていたらしい。
連れ合いさんもあまりにみんなが遅いので不安だったのだろう。
若いということはすごいと思った。
頂上近くには鹿も現れ、気づいた人たちは写真を撮ったりしていた。
ぼくも写真を撮ることができた。
頂上では昼食を取り、おしゃべりを楽しみ、最後に、写真撮影をして、他のグループよりはかなり遅れて山頂を後にした。
登りは男坂、下りは女坂。理由は分からないが、女坂は階段が幾分緩やかなのかという期待は全く裏切られ、登りより下りがきついのではないかという不安が的中した。
伊狩氏は、会長の園田氏、事務局担当の水間氏、女性の小山・小久保さんたちに見守られ、休憩を入れながらゆっくり下りてきた。
全体的に遅いペースであったため、ケーブルカーの最終時間の4時30分には到底間に合わず、ケーブルカーでは5分くらいの時間を1時間近くかけて歩く苦行が加わった。
往復切符の「復」の分の料金が気になりながら、大山バス停に向かった。
最後の最後まで下り坂が延々と続いた。
やっと全員が下りきったのは午後7時。丁度10時間の登山であった。
応えた。
何より思い体重を抱えて最後まで行動を共にした伊狩氏の粘りはさすがにすごいと思った。
あの体重では相当にきつく、足や腰にも相当響いたことだろう。体を労り、何より体重を下げることが大切だ。
新田氏も、痛めた体を上手に使いながら最後まで粘ったのは彼らしい。
若い人たちはさすがである。
しかし、同窓生がお互いを思いやり、励ましあいながら登山を共にする姿はほほえましい。
老体がこういう仲間に支えながら共に生きながらえていることに感謝である。
なんだか富士登山が楽しみになってきた。
大山登山の参加者(敬称略)
伊狩俊秀、仙田隆宜、園田弘久、新田幸人、マグノリア・サントス(新田・妻)、キャシータブリソ(新田・友人)、前田弘和、前田加代子、前田哲哉、水間英樹、水間真帆、加川千鶴子、柏木れい子、貴島悦子、小久保充子、小山初代、、篠原悦子、丸山玲子 計19名
昨日の登山のきつさが足にもろにきた。
老いとともに確実に訪れている筋肉の衰えを自覚した。
富士登山の足慣らしとして企画されたこの大山登山である。
ぼくはこの一月間の多忙な中から生まれたストレスの影響を恐れて、かなり不安を抱えていた。
7時過ぎの電車に乗る予定を30分も早めて乗車した。
電車で寝過ごして行きすぎてしまった場合のことを考えたのである。これまで何度もそういうこともあったし・・・
しかし、比較的順調に乗り換えもできてたため集合時間より1時間も早く、集合場所の伊勢原駅に着いた。
始めて降り立った駅である。近くを散歩して回った。
駅の周辺には大山信仰を感じさせる雰囲気がある。
9時前には全員が揃ったところで、バスで追分駅まで移動。そこから結構傾斜のきつい大山ケーブルカー駅まで沿道の両脇に並ぶ店に、目をやりながら行く。
やっと辿り着いて、「往復切符」を購入し、ケーブルカーに乗ったが、乗車時間は5分程度。
大山信仰のシンボルである大山の頂上の阿夫利神社(雨降神社)でお参りをした。
この阿夫利神社と伊勢神宮は深い関係にあると思われているらしい。
社伝では、崇神天皇の時代の創建と伝え、延喜式神名帳では「阿夫利神社」と記載されているらしい。 天平勝宝4年(752年)、良弁により神宮寺として雨降山大山寺が建立され、 本尊として不動明王が祀られたとのこと。 中世以降は大山寺を拠点とする修験道(大山修験)が盛んとなり、 源頼朝を始め北条氏、徳川氏などの武家の崇敬を受け、 江戸時代には、当社に参詣する講(大山講)が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した由緒ある寺とのこと。
ここで記念写真を撮ってもらうため、少し離れた若者に声を掛けたつもりが近くにいたお孫さんを抱いたおばあちゃんが応じてくれた。申し訳ないと思いつつも厚意に甘えた。
そのおばあちゃんにお礼の声を掛けたら奄美出身だという。「西方」というのでぼくが「管鈍?」と聞くと「いえ、西古見」だという。自分の兄も大高出身で、姓は「朝野」さんと話してくれた。
なんという偶然に驚く。
登山に入る前に注意事項の説明がある。ゆっくり自分のページを守ること、足の歩幅のこと、呼吸のこと、ぼくの頭には入りきれない。
ぼくはとにもかくにもゆっくりと自分のペースをしっかり守るということだけを肝に命ずることにした。
登山口から見あげた階段、急な坂道、ふと不安を感じた。
ぼくの班はしっかり者で登山の経験が豊富な加川さんが班長である。同じ班には新田夫婦、新田の連れ合いさんのお友だちのキャシータブリゾさん。キャシーさんは若くて美人だ。
ぼくは後ろからついて行くことを心掛けた。
購入した靴を足慣らしではいて、階段でこけたため身体に痛みがあるので残るといっていた新田氏がついてくる。
駄目だったら引き返すというつもりというので見守ることにする。
途中から伊狩氏がかなりきつそうにして歩いている。何より自分の体重が重そうである。
大量の汗をかきながら、周りからうるさいくらいの励ましや助言を受けながら、そして、休みをたっぷりと取りながら登って行った。
前田弘和氏の連れ合いさんと息子さんはいつの間にかぼくらの視界から消えてしまった。
先に頂上に行ったのだろうと思っていたら案の定であった。ここでずっと待っていたらしい。
連れ合いさんもあまりにみんなが遅いので不安だったのだろう。
若いということはすごいと思った。
頂上近くには鹿も現れ、気づいた人たちは写真を撮ったりしていた。
ぼくも写真を撮ることができた。
頂上では昼食を取り、おしゃべりを楽しみ、最後に、写真撮影をして、他のグループよりはかなり遅れて山頂を後にした。
登りは男坂、下りは女坂。理由は分からないが、女坂は階段が幾分緩やかなのかという期待は全く裏切られ、登りより下りがきついのではないかという不安が的中した。
伊狩氏は、会長の園田氏、事務局担当の水間氏、女性の小山・小久保さんたちに見守られ、休憩を入れながらゆっくり下りてきた。
全体的に遅いペースであったため、ケーブルカーの最終時間の4時30分には到底間に合わず、ケーブルカーでは5分くらいの時間を1時間近くかけて歩く苦行が加わった。
往復切符の「復」の分の料金が気になりながら、大山バス停に向かった。
最後の最後まで下り坂が延々と続いた。
やっと全員が下りきったのは午後7時。丁度10時間の登山であった。
応えた。
何より思い体重を抱えて最後まで行動を共にした伊狩氏の粘りはさすがにすごいと思った。
あの体重では相当にきつく、足や腰にも相当響いたことだろう。体を労り、何より体重を下げることが大切だ。
新田氏も、痛めた体を上手に使いながら最後まで粘ったのは彼らしい。
若い人たちはさすがである。
しかし、同窓生がお互いを思いやり、励ましあいながら登山を共にする姿はほほえましい。
老体がこういう仲間に支えながら共に生きながらえていることに感謝である。
なんだか富士登山が楽しみになってきた。
大山登山の参加者(敬称略)
伊狩俊秀、仙田隆宜、園田弘久、新田幸人、マグノリア・サントス(新田・妻)、キャシータブリソ(新田・友人)、前田弘和、前田加代子、前田哲哉、水間英樹、水間真帆、加川千鶴子、柏木れい子、貴島悦子、小久保充子、小山初代、、篠原悦子、丸山玲子 計19名






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