思い出して、疲れること

身体が疲れているというわけではない。
心と身体のバランスがどうもよくないような気がする。何かしようとすると何か心にかかるものがあり、動き出せなくなる。

久しぶりに東京で全教互の役員研修会で仕事をした後、仕事を通して親しくなった仲間と飲み会をした。
飲み会そのものはとても楽しく、気分は爽快だった。
お互いの信頼関係を確認した意味も大きかった。
それだけにぼくは自分の決断が正しかったのかという、今さら答えを出しても仕方のないことに囚われてしまった。

ぼくは全教互の将来を見据えて判断しようと思った。将来といっても、この数年間よりもっと短い先のことではあった。
会長、専務理事、事務局長のポストにある3人が同時期に辞めるのは、運営に支障が出てくるという思いが強かった。役員人事を決めるのは会長が委嘱する選考委員会であるという建前だけではこの問題は解決しないし、そのポストにある者が真剣に考えることだと常々思っていた。

ぼくの心の中では早く解放されたいという気持ちはあったものの、任期いっぱい務めるのが当然であるし、その後、役員選考委員会の判断に委ねるべきだと思ってきた。それで5年で終えるのか、その後があるのか判断してもいいという覚悟はあった。

しかし、自分の中で役目をしっかり果たしているのか、信頼を得て仕事をしているのかという疑問に加えて、3人が同時期に辞めるという問題に真剣に向き合うべきポストは誰なのかと真剣に考え、自らが辞する道を選んだ。その考えを会長、事務局長とぼくの3人で話した時、誰も反対しなかった。3人が同時に辞めるのは確かに問題が残るという考えで一致し、結果的にぼくが任期の途中で辞任することになった。

ぼくは、この時、家庭の事情とか健康問題のことは一切言っていない。またそういう問題は特になかった。
この話し合いを受けて、役員選考委員会を立ち上げて欲しいと要望したのだが、本人の健康問題とかいう問題がないからそれはできないということだった。
自分で人を見つけ、後任に目途が付いた時に、選考委員会を立ち上げるということになった。

ぼくはこの時、確実に辞めることになると確信した。
もし役員選考委員会を立ち上げ、後任人事を進め、推薦者を募って、人が出てこなければ、慰留されることもあり得ることはこれまでの経緯で分かっていた。その時は自分なりの大義名分を主張し、理解してもらったうえで、後は理事会なりの判断を待って、一定の覚悟が求められたらそれもやむなしと思っていた。
しかし、自分で選ぶとなればこれはぼくにとっては極めて簡単である。人は自薦も含めて推薦もなかなか現実的には厳しい。選考委員会が難航するのは常であった。
また、ぼくには条件が整っている人はピンポイントで分かっていた。説得にも自信はあった。そうしたノウハウは、ぼくのさまざまな経験から積み上げてきたつもりだった。

最初に説得を試みようとした人は組織的な事情からすぐに無理と判断し、深追いはしなかった。次に当たった人は特に問題がないということを情報としてすでに得ていた。
組織的な手続きで問題は残したものの、人選では意外なほどスムーズに話しは進み、役員選考委員会に委ねられた。結果はぼくの人選通りに進んだ。

この経緯について仲間や友人たちに話したことがあった。
地位に連綿としない生き方をしたいというぼくの潔さはあまり評価されなかった。
今になって、その判断・生き方は間違いと指摘されることがある。格好を付けているとも言われた。
本音と違う行動をしているという批判も受けた。
これらの言葉を否定できない自分に気付き始めている。
後悔のない人生を送ることは困難なのだが、それにしてもぼくの選択が安直過ぎる気がして、疲れている。

楽しい飲み会の中でもそうしたことをふと思い起こされ、心が乱れた。
未熟な自分に辟易した。

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