「フォークビレッジ」という小さな酒場で大きな感動

村上三絃道の公演の後の懇親会が終わって、宮崎の専務理事さんに2次会に誘われた。
日曜日で開いている店が少ないので、確実に開いている店に行きましょうということで入ったのがこの店である。
酒の席を断れないのはぼくのどうしようもない性癖である。

看板に「フォークビレッジ」と書いてあるのを見て、「これはいい」と即座に気に入った。
中はカウンターに6人も入ればいっぱいの小さな店である。カウンターの机の上には往年(現在、活躍中でもあるのだが)のフォーク歌手の歌の本がずらりと並んでいる。店の隅にはギターを弾くスペースをかろうじて確保してある。
ぼくらが行った時は先客が一人だけだった。延岡から来た人でマンドリン奏者とのこと。なかなか落ち着いたいい感じのお客さんである。
カウボーイハットのような帽子を被ったマスターは、ダジャレをふんだんに取り入れながら軽妙な会話でぐいぐいと話しをリードしていく。
愚鈍なぼくは機転の利いた会話の流れについていけず、ただ茫然と会話を聞いていた。

出身を聞かれ、「奄美」と答えると、すぐに出たのは「千賀かおる」の名前だった。「真夜中のギター」1曲だけで知られた歌手であるが、彼女は奄美諸島の沖永良部の出身である。
「千賀かおる」をNHK深夜便のアンカーの話し手が「せんがかおる」と紹介したことを持ち出し、その話し手と番組制作者をこき下ろすさまが愉快だった。厳しい指摘をしながら悪意を感じない優れた話術に羨望を抱いた。m
次に、永井龍雲の母親が奄美出身ということに触れ、ぼくが彼の歌の「るりかけす」を頭に浮かべたら、すぐに彼の方から「『るりかけす』といういい歌がありますね」と言ってくれた。
そしてさっそく歌ってくれたのがこの「るりかけす」だった。マイクはなく、ギターだけで静かに歌うだけに心に沁みてくる。悲しく、切ない歌詞の雰囲気と永井龍雲の母への思いが聴く者の心に深く伝わる。
昨年9月久慈を訪れたことを思い出していた。
ぼくらの世代は多くの子どもたちが中学校を卒業すると、仕事を求めて集団就職で本土に出て行った。多くが関西・関東であった。故郷への郷愁を強く抱きながら、遂に帰れなかった人も中には入るのだろう。
ぼくも中学卒業の時には母はすでにこの世を去り、高校入学の直前には父も失くしていた。かろうじて地元の高校に通うことができたのは偶然に近い出来事だったのかもしれない。ぼくも集団就職の群れの中にいてもおかしくはなかった。そんなことも思い出させる歌である。静かに聴きながら涙が出そうになるくらい感動した。
さりげなく「愛加那」の悲劇も歌いこんでいるのが凄い。

フォーク歌手では誰が好きですかと聞かれたので、「ぼくの時代では『岡林信康』ですね」と答えると、またすぐに乗ってくれた。そして「山谷ブルース」と部落差別の理不尽さを伝える「手紙」を弾き語ってくれた。

その後、男女二人のかなり酔ったお客が来て、一気に騒々しい雰囲気になってきた。
そんな中でも、「カントリーロード」や吉田拓朗の「春を呼ぶ歌」、井上陽水の「傘がない」など、マンドリンの演奏も交えて次々に披露してくれた

騒々しいけれどとても愉快な二人が帰った後、女性一人で入ってくる客がいた。先ほどとは打って変わって静かな物腰の人でピアノや音楽に精通している、凄い人のようだった。

何やかやとぼくの音楽知識のレベルを遥かに超える会話が交わされていたが、それでもぼくは大いに満足し、贅沢な時間を味わうことになった。

宮崎のとても素敵な空間で夢のような時間を過ごした。思いがけず実に楽しく、気が付くと時間は24時を過ぎていた。翌日を考えるとこれ以上は無理だと思い、また来れることを期待し、帰ることにした。

こんな店を大切にする宮崎の専務さんの「好みの良さ」に共感し、羨ましくもあった。
昼の津軽三味線の公演に続き、音楽漬けの感謝の一日だった。

久慈の海
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この記事へのコメント

フォークビレッジ店主
2014年04月18日 00:53
フォークビレッジ店主のミッキー大野でございます
先日はご来店くださいまして誠にありがとうございました
Tさんが昨夜来店され、ブログの記事と写真をプリントアウトしたものをご持参くださいました
少々照れながら拝読しました
来宮の節にはまた是非お立ち寄りくださいませ
取り急ぎ御礼とご挨拶まで

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